「救児の人々」

先輩未熟児ママのみやこちゃんに勧められて「救児の人々-医療にどこまで求めますか」という本を読んだ。「救児」とは、「救命が必要な産まれたばかりの赤ちゃんを助けようと関わっている、ご家族やNICUの医療スタッフのこと」を指すようである。
みやこちゃんの「重い内容だから覚悟してね」というコメント通り、何度読んでもすっきりしなかったが、それは恐らくこの著者のせいではない。まさに医療、福祉、介護の制度や、経済・雇用、司法、さらには日本人の家族観、死生観など、あまりに多くの課題があり、それが複雑に絡み合っているからだと思う。

本書の問題意識は、私の読み取りではこうだ↓
“日本の新生児(周産期)医療は世界一と評価されているようだ。しかし本当に世界一である必要があるのだろうか?巨額の税金を投じてまで、誰もを助けなければならないのだろうか?助かったところで、障害が残ることも少なくない。医療の発達で皮肉にも「これまでなら助からなかった子供が『助かってしまった』ケースもある。重度の障害が残った子の行き先の選択肢はきわめて限られているし、家族の負担も大きい。そもそも助け合いの精神が根付いていないところで、医療だけが発達して、幸福が得られるのか-”

NICUに子供の命を助けてもらった自分にとって、「NICUは障害者製造工場」「NICUはお金持ちの国の贅沢な医療で、大きな戦争や災害が起きたらあきらめざるを得ない医療」という声は心に突き刺さった。うちの長女も「やり過ぎの医療」で助かったと言えるのかも知れない。障害は残ったけど。
それでも、当時は「どんなことをしてでも助けて欲しい」と必死だった。医師や看護師さんの過重労働に配慮したり、NICUに対するコスト意識を考える心の余裕は、とてもなかった。

本書にもあるが、私のように当事者になるのに前触れはない。そして、これはNICUに限った問題でもない。これから高齢化がますます進み、同じような判断を求められる場面は増えるだろう。だからこそ、日頃から誰もが考えていかなければならないのだと思う。

さて、本書で無条件に共感できたのは、「『救児』の予後を決めるのは親の経済力」ということ。社会保障なんかよりおカネなのだ。お金さえあれば、それなりの訓練、経験などをさせてあげられる(補聴器だってメガネだって、質のいいものを買い与えることができる^^)。世の中、サポート体制は整っていないのだ。
サポート体制と言えば、子供が要介護状態になった場合などでも頼れるところはなく、結局母親が仕事を辞めざるを得ないケースについても本書で指摘されていた(まさに10年前の私だ)。命を世に送り出すって、やはりいろんなリスクを覚悟しなければならない、大仕事なのだと実感する。

本書、今日までならウェブで全文が公開されています。
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by miki_renge | 2010-06-19 06:37 | 社会・経済一般
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