届かぬ障害者福祉:札幌のニュースより

先週、札幌で40代の姉妹が亡くなったというニュースについて。
札幌市白石区のマンションで女性2人の遺体が見つかり、北海道警は25日、40代の無職の姉妹と確認した。姉が病死した後、知的障害があった妹が自力で生活できずに凍死したとみられる。
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このニュースを見て、まず、「他人事じゃない」と思った。
我が家も、障害のある姉+健常な妹という組み合わせである。姉は知的障害こそないものの、難聴でコミュニケーションが普通に取れるとは言い難い。軽度だが肢体不自由もある。進学、就職、結婚…どれだけの壁があるか想像もつかない。
かと言って、私や夫がいつまでも彼女を養っていくわけにはいかない。となると、いざというとき頼るのは妹となろう。もしその妹が、健康を害してしまったら…?

このニュースについては、「生活保護を申請していれば」あるいは「どこかに助けを求めれば」という意見もあるようだ。町内会長さんも「地域に知的障害者がいると分かっていれば」と話しているそう。それはその通り、分かるのだが…
そもそも地域で、「障害者がいます」と伝えたとき、本当に手を差し伸べてくれるだろうか?

障害者を取り巻く環境は決して良いものとは言えない。これは以前からずっと言われていることだ。今はさらに経済環境の悪化で社会全体が余裕をなくしているとき。そんな状況で「助けてください」と言えるのか?
学校でだって「皆と一緒にできない」障害児は疎外感を抱くこともある。そもそも重度障害児と健常児が触れ合う機会はあまりない。障害理解に関する教育はほとんど受けていないどころか、知的障害児、発達障害児は排除される傾向にある。もちろん、彼らの存在が学級崩壊などの問題を起こしているのなら、それはそれで対応が必要である。けれど、それを恐れるあまり、彼らとのコミュニケーションそのものをシャットアウトしているケースもあるように思う。

そういう教育を受けてきた子供達が大人になって、障害者を支援できるのか? 
偏見が先に立ってしまうことはないと言えるのか?

先に病死した健常なお姉さんは、「どうせ世間にお願いしたって無理」と感じていたのでは。その気持ち、よく分かる。結局、障害者にまず求められるのは「本人及び家族の自助努力」、つまり「頑張れ」ってことだもの。それそのものは否定しないけれど、疎外され続けると、「ここは自助努力が必要か、それとも助けを求めてもいい状況か」の判断力が麻痺してしまうんだよね。

まぁ、そうは言っても、我が家も娘達には「いざと言うときはしつこいくらい声を張り上げなさい」と伝えていこうと思う。もちろんその前提として、生活力をつけさせることが大事だけど。

2人が天国で、何不自由なく暮らしていますように。
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by miki_renge | 2012-01-29 12:31 | 社会・経済一般
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