日航機墜落事故から20年

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520人が亡くなった日航機墜落事故から今日で20年。
20年前の今日の夕方、「飛行機が消息をたった」というニュースを見て、父が言った。
「そういえば、今日はあの飛行機、見てないなぁ・・・」
実は、我が家(実家)の上空は飛行機の過密地帯であり、数年前には飛行機同士のニアミスも起こったところ。父はよく、庭の手入れをしながら空を見上げて、飛行機を見ていたっけ。
そして父の言った「あの飛行機」こそ、墜落した日航123便だった。

事故の悲惨さは今更語ることはないだろう。
ただ一つ、その数日後、ある新聞に掲載された川柳だけは、鮮明に憶えている。
「遺書を書く 時間を与えた 残酷さ」
墜落現場から何人かの方の遺書めいたものが発見されたが、きっともっと多くの未発見の遺書があった違いない。
揺れる機内での彼らは、何を考えていたのか・・・

もう一つ、私には忘れられない飛行機事故がある。
それは平成6年4月26日の夜、名古屋空港で起こった中華航空機の着陸失敗事故、このときも264名が亡くなっている。

その頃、私は出張で、VIPの秘書としてイスラエルにいた。
いよいよ明日は帰国という日、日本から飛行機事故の連絡が入った。被害者の何人かは関連会社の方だったため、「VIPに伝えて欲しい」ということで私に第一報を入れたのだろうが、私は「飛行機事故」ということの方が単純に怖かった。
しかも着陸直前の墜落炎上事故。飛行機の着陸というのは、確かに離陸とともに事故の発生率は高くなるというが、それでも「帰ってきた」とホッとする時間帯でもある。
帰国時の飛行機の中に置いてあった、一面にデカデカと事故を報じる新聞は、今も脳裏に焼きついている。

飛行機に限らないが、「安全で当たり前」の公共交通機関。
最近特に飛行機のトラブルが相次いでいるが、改めてこの事故が残してくれた教訓を、当事者には確認して欲しい。自分達は大事な大事な命を預かる仕事をしているということを。万が一、その命が失われたとしたら、どれだけ多くの人が悲しみ、怒り、やりきれなさを感じるかということを。

ちなみに、イスラエル出張は結婚式20日前だった。
あまり治安がいい地域とは言えなかったため、会社が、規定では3千万円の海外旅行保険を、特例で5千万円かけてくれた。上司が「これで大丈夫だよ」と送り出してくれたが、何が大丈夫だったんだろうか・・・^^;
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by miki_renge | 2005-08-12 10:28 | 社会・経済一般
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