便利さを追求すると

次女に続いて長女も発熱。2人仲良く38.5度。長女は嘔吐、次女は下痢でぐずっている。長女は軽い脱水症状を起こし、点滴を受けてきた。こうなると仕事どころではない。今日は地元の診断士会の総会もあったが、ドタキャンせざるを得ず・・・来週はいったいどうなるのだろうか・・・それにしても、保育園、まともに行けないなぁ(泣)。私も眠い。

さて、病気の子がいるといないとに関わらず、小学1年生と0歳児を抱えていると、なかなか自分の時間が取れない。特に朝は戦争だ。
そのなかで、何と言っても強い味方は「食器洗い乾燥機」だ。朝食後、茶碗やお皿を入れてスイッチを押すだけ。帰宅時にはピカピカになっているのは本当にありがたい。

次のターゲットは、「全自動洗濯乾燥機」。我が家では全自動洗濯機はあるが、やはり朝干すのは面倒この上ない。洗濯物が、「スイッチ一つで帰宅後にたたむだけ」になっているならかなり助かるのだ。
しかし、ここで気づいた。こうやって便利さばかり追求していったらどうなるのだろうかと。

以前、長女の保育園の保護者会で、保育時間の様子のビデオを見せてもらった。
長女は、「おせんたくなの」と言って、お人形さんのお洋服を棒にかけていた。
私の真似をしていたのだろう。よく見ているなぁ、と思った。

スイッチ一つで何でもできるようになったら、こんなこともやらないだろう。洗濯の干し方、食器の洗い方すら分からない人間ができてしまうかも知れない。それでいいのか?
それとも、将来、それがスタンダードになれば、余計なことなど覚えなくてもいい?

私は大学時代までは二槽式を使っていた。親の代は洗濯板だった。今、この二つが使えなくても別にどうってことない。いずれ「洗濯物を干す」という概念もなくなるだろうか。

便利になることは歓迎すべきことなのだろうが、このように、ふと不安になることもある。
[PR]
by miki_renge | 2006-05-13 22:58 | 商品・サービス
<< 子供の臓器移植 こんな少子化対策ってあり? >>